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原発切抜帖海报封面图

原発切抜帖

纪录片
2011-06-25日本上映 / 45分钟
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简介

土本典昭・小沢昭一のコンビが日常生活の淵から問いかける衝撃のシネエッセイ! 1979年のスリーマイル島原発事故、1981年の敦賀原発の放射性廃液の流出事故を機に、土本典昭監督が長年切り抜きを続けてきた新聞記事のスクラップブックから、“原子力”をテーマに企画した纪录片ー。当時から問題にされていた原子力発電所や政府の姿勢を日々家々に配達される新聞の記事から読み解き、小沢昭一の軽妙な語りと新聞記事だけで構成した『シネエッセイ』。斬新な手法が話題を呼んだ、土本監督の隠れた傑作。 作者よりあらすじにかえて 土本典昭 この映画製作の動機に、ある若いアジア人のひとことがありました。「私の国で原発をつくる日がきたら、きっと日本がひきあいに出されるでしょう“原爆の怖ろしさをあれほど知っている日本でさえ、原発大国になっているではないか”」と。 昭和20年8月7日、広島のピカの第一報は3.5センチ角のベタ記事でした。「焼イ弾により若干の被害が出た模様」と国民の眼に原爆であることを隠したまま終戦に至りました。以後7年の占領期間、原爆被害報道はタブーであり、日映の原爆フィルムは没収されたのです。 昭和29年の第五福竜丸の死の灰による被爆は大事件でした。今回映画で当時の連日のニュースを追ってみると、福竜丸は広大な危険区域(立入禁止)の60キロ圏外の洋上で被災したことに気づきました。 美国軍部の原子力・放射能障害の危険性の認識ぐあいはせいぜいその程度だったのではないか——とすれば、それをベースに計算された原子炉の安全性、放射能の安全基準は、その出発から誤算したままではないかとの疑いが生じました。 この映画は内外の原子力事故の追跡を当時の新聞報道の一行一行で試みたものです。 そして何より自ら怖ろしくなったのは、美国の米兵にせよ、南太平洋の島民にせよ20年、30年ののちに病み死んでいっている、その“時差”でした。 ヒロシマ・ナガサキの体験をいつ、なぜ見失ったか、それは一篇のミステリーとも思えるのでした……。

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