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ジャン・有馬の襲撃海报封面图

ジャン・有馬の襲撃

1959-06-12日本上映 / 114分钟
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简介

慶長十四年、イベリヤ王国の植民地珠江で、十人の日本人が銃殺の刑に処せられた。その殆どは御朱印船の水夫たちだが、なかには小寿々と呼ぶ女性の姿もまじっていた。さらに、要塞の大砲は日本人街に向って火を吐いた。日本の南方貿易における足場を失わしめるに十分な武力行使だった。--イベリヤ船デイオ号が長崎へ入港した。船長カストロは、珠江事件を日本人の暴動であると申立て、船牢につながれた小畑三郎兵衛を生き証人として、家康に損害賠償と謝罪さえ要求しようとした。三郎兵衛は有馬藩御朱印船の宰領であり、また珠江日本居留民の総取締でもあった。長崎奉行は、有馬晴信の許へ急使を立てた。晴信は洗礼名をジャン・プロタシオと称し、熱心な切支丹宗門の庇護者だった。彼は三郎兵衛が異国人の虜となって帰ってきたからには、相応の理由があるにちがいないと考え、真相究明のため、イベリヤの一行が三郎兵衛を伴い駿府へ赴く途中、彼の身柄を奪った。晴信は駿府を訪れ、珠江における日本人虐殺の真相を訴えた。それによれば--デイオ号船上で新年宴会が開かれた際、小寿々に目をつけていたカストロが、彼女に襲いかかろうとした。逃れようとして小寿々は国旗の繋留索にふれ、イベリヤ旗がほどけ落ちた。御朱印船の水夫たちが彼女を救おうとした。イベリヤ側は国旗侮辱という罪状をでっち上げた。--晴信はイベリヤ士官との馬上技くらべに勝った。褒賞として、デイオ号に監禁されている日本人奴隷の解放を願い出たが、家康はこれを退け、かねて晴信に思いを寄せている孫娘の鶴姫では、と言った。晴信は困惑した。デイオ号は、広東に内乱が起るとの報を受け、長崎出港を急いだ。晴信は、伝馬船二艘をつないだ上に櫓を組み立て、これを漕いでデイオ号の甲板に乗移ろうという作戦を立てた。作業は間に合わず、デイオ号は港を出た。が、橋杭岩に坐礁した。水先案内として船に乗ったパウロ・王の仕業だ。パウロ・王は晴信の保護のもとにあった明国の亡命者で、晴信の恩に報いるための手段だったのだ。王はたちまち銃殺された。晴信の率いる船団はデイオ号を遠巻きに接近したが、船足は進まなかった。この時、三郎兵衛は単身デイオ号に乗りこみ、割腹し果てた。時をかせぐためだった。イベリヤ人たちがハラキリ見物に気を奪われているうちに、晴信の船団は接近し、日本人奴隷を救出した。やがて、デイオ号は爆沈した。--長崎奉行は、晴信の遠流の地への道づれに、鶴姫を伴ってきたが、晴信は彼女の差出す懸香だけを受取り、一人いずこへか赴いた。

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