昭和十九年五月、ビルマ最前線の日本軍は、インパール攻撃を目前に控えていたが、すでに弾薬はつき、食糧はなく、その上恐しい雨季が迫ってきていた。野上大隊長は、旅団司令部に物資の補給を要請した。事情を知った曽根旅団長は、作戦会議で撤退を主張したが、かえって第一線の指揮を命ぜられた。曽根は、副官に野上少尉を任命し、野上大隊へ赴任した。士官学校を出たばかりの野上は、父の野上大隊長が優柔不断なため進撃をためらっているという噂を聞き、不満に思っていた。橋本上等兵と杉江一等兵は上官を上官とも思わないような兵隊だった。曽根は、胸中、撤退を決意した。だが、そのことを敵に知られてはならない。敵前衛部隊への攻撃、地雷原の爆破作業と小さな攻撃が続けられた。橋本上等兵が、前の戦闘でかく座させた敵戦車を迎え撃つという計画が進められ、野上少尉、橋本上等兵、杉江一等兵の他、庄司一等兵と小林一等兵が選ばれ戦車の修理作業にかかった。作業中、野上と杉江の間に険悪な対立が続いた。戦車はほんの少し動いただけだった。撤退命令が下った。曽根旅団長の独断で行なわれた命令だった。時を同じくして、敵の攻撃が開始された。大隊の撤退が完了するまで、その攻撃をくい止め、最後に橋を爆破するために誰かが残らねばならない。敵のくる道筋にすえられた戦車の中に、野上、橋本、杉江、庄司、小林の五人が残って敵を迎え撃った。敵戦車が近づいた。この機に、橋の爆破をしなければ、敵の進撃をくいとめることができない。橋本と杉江が爆破作業にとりかかった。爆破装置が完了し、スイッチが入った。点火装置に故障があるのか爆発が起らない。杉江が橋上に躍りあがった。その上に敵戦車がのしかかる。その瞬間、橋は爆破した。その頃、大隊本部では曽根が自決していた。生き残った野上と橋本が、僚友たちの遺体を埋葬しているのを、対岸の狙撃兵が見つけた。野上が倒れた。「俺だけを残すな」と橋本が絶叫する。その橋本の背を激しい雨がたたきつけた。遂に雨季がやってきたのだ。
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