新進建築家・村岡雄二が彼の才能を認める批評家・野々村欽也の妹夏子に初めて会ったのは上野美術館で開かれた、現代美術展の会場だった。そして、野々村の誕生祝の席上--雄二の才能をねたむ者たちが、不器用さを承知で隠し芸を雄二に強制した。見かねて助け舟を出したのが夏子だった。彼女は村岡さんの代りにと言って、宙返りの珍芸を披露した。雄二の作品がローマのビエンナーレに当選した。ストックホルムの公使館にいる叔父のすすめから、三カ月の渡欧の話が持ち上った。雄二は、たとえ三カ月でも夏子と別れたくはなかったが、夏子は彼の渡欧をすすめた。それから、二人は毎日逢った。雄二の母や兄も野々村夫妻も、二人の未来を祝福してくれた。--雄二は、スカジナビア航空旅客機の機上の人となった。白樺林のアンカレージ空港も、グリーンランドの北極海も、夏子の面影を追う雄二には、余りにも淋しい、ただそれだけの景観だった。パリ、コペンハーゲン。ストックホルム空港では、従兄の稔が迎えに来ていた。叔父の家は静かな湖畔にあった。雄二は、夏子に宛てて毎日手紙を書いた。夏子からも毎日手紙が来た。--六月三十日、待望の日だ。雄二は日本へ向けて発った。アンカレージに寄港した時、一通の電報を受け取った。『ケサ九ジナツコシス」カナシミキワマリナシ」ノノムラ』雄二は自分の目を疑った。羽田空港、今日の日を誰よりも待っていた人の姿はなかった。「雄二さん、元気をお出しになって」夏子が耳許でそう囁いたように思われた。雄二は涙に濡れた顔を上げ力強く歩き出した。
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