長谷川伸の戯曲『源太時雨』(博文館、1931年)[1]を原作にした映画は、本作に先行して1931年(昭和6年)に清瀬英次郎監督、日活太秦撮影所製作で『源太時雨』の題名で、同年、山中貞雄の盟友である滝沢英輔が『振袖勝負』の題名でそれぞれ映画化している[2]。本作は、嵐寛寿郎プロダクションが製作し新興キネマが配給して、翌年の1932年(昭和7年)2月4日に公開したもので、岸松雄が「和田山滋」名で『キネマ旬報』誌上で激賞し、山中の評価を決定的なものとした[3]。 同作の封切りは、1月29日に京阪神を中心に先行して公開された。これは当時としては珍しいことではなかった。その際に、「玉木潤一郎(元片岡千恵蔵プロダクション所属で、当時「演芸通信」の記者だった)は、1月の映画完成段階で試写の実現に奔走した」と当時の京都日出新聞に書かれている。 すでに、京都の撮影所界隈では、山中貞雄はひとかどに知られた存在であり、玉木にしても、その評判を知ったうえで、上記のような行動を起こしたと考えられる。ということは、(インテリ層による)山中貞雄の発見は、偶然によるものではなく、必然だったのかもしれない。 本作の上映用プリントの全篇は現存しておらず、東京国立近代美術館フィルムセンターはプリントを所蔵していない[4]が、数分の断片が発見されており、2004年(平成16年)に日活がリリースした『山中貞雄日活作品集 DVD-BOX』に『怪盗白頭巾』のフィルム断片とともに、収録されている。
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