「葉子さん……」涙をためて見つめている葉子の顔に、光晴の記憶は徐々によみがえりはじめた。しかし、葉子はその時もはや昔の新村葉子ではなかった。言葉もなく頭を垂れる光晴の姿を後に、あふれる涙をかくして葉子は病室を走り出た。その日、葉子は夫信介の母から、しばらく、兄健二郎の家に帰っているようにと言われた。姑は葉子が光晴のもとにしばしば通っていたのを知っていたのだ。その頃、東洋軽金属では社長以下幹部の信介、健次郎の間に新社屋ビル建築について、予定していた光晴の設計を取り止める話が持ちあがっていた。信介は葉子の抗議も受けつけず、健二郎や兄嫁も葉子を責めるばかりであった。思い悩んだ彼女は、実家のある九州行きの列車に乗りこんだ。数日たった。葉子が家を出たと知った光晴は、その後を追ったが、彼女は健二郎に伴われ、宮崎に来ている信介に会いに出掛けたばかりであった。宮崎県青島--陽のまだ上らない海岸の波打際。哀しみを秘めたあきらめ顔の葉子は、そこで光晴と会った。二人は言葉もなくじーっと見つめ合った。だがその間にはもはやどうしようもない現実の厳しい壁が立ちはだかっていたのである。そんな時、信介を訪れた葉子の父は、もう一度葉子を引き取りたいと言いだした。一年後--。涙を拭った葉子は離婚を決意して、新しい職場に勤めた。女社長は彼女の境遇を知って何かとかばい、町田トキやチカ坊もともすれば挫けそうになる葉子をはげました。だが、当の信介は離婚を承諾しないばかりか、地裁公判の日、関係のある秘書麻美を買収して、葉子が光晴と逢っていたという事実をもとに、逆に提訴して来た。折も折、光晴は恩師の世話で仕事のためにカンボヂアへ飛びたって行った。
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