小野田嘉干,1925年(大正14年)7月12日、東京府東京市(現在の東京都)に「小野田正彦」として生まれる[1]。誕生後に朝鮮(現在の大韓民国)に渡り、2年後の1927年(昭和2年)12月16日には京城府(現在のソウル特別市)で弟の昭彦が生まれている。さらに5年後の1932年(昭和7年)7月6日には妹の和子(のちの音羽美子)が生まれている。東海科学専門学校(現東海大学)卒業後、1947年(昭和22年)に新東宝助監督部に入社した[1]。本名の「小野田正彦」で、黒澤明、稲垣浩、並木鏡太郎、冬島泰三らの作品で助監督を務め[1]、1958年(昭和33年)、富士映画製作、若山富三郎主演の『楠公二代誠忠録』で監督としてデビュー、同年、現在の「小野田嘉幹」に改名し、『人喰海女』で再デビューした[1]。翌年5作、さらに翌々年の1960年(昭和35年)には4作を監督し、同年12月8日、『人喰海女』や『女奴隷船』にも出演した同社の女優・三ツ矢歌子と結婚した[1]。1961年(昭和36年)8月31日に会社が解散、翌日同社を分社化した配給会社・大宝が設立されると、新東宝のプロデューサーだった佐川滉の佐川プロダクションで『黒い傷あとのブルース』を撮ったが、翌年には大宝が業務停止に陥り、小野田は以降、フリーランス・ディレクターとなり[1]、同年からテレビ映画の監督に専念した。2004年(平成16年)3月24日、11歳年下の妻・三ツ矢歌子と死別、三回忌を迎えた2006年(平成18年)4月に妻の回想録『桜は二度咲いた』を上梓した[2]。100作を超えるテレビ映画を手がけ[3]、2008年(平成20年)4月11日放映の『剣客商売 - 春の嵐』が2009年10月現在の最新作である。