河野寿一,広島県安佐郡安古市町出身。新義州公立商業学校を経て、1943年に日本大学芸術学部映画科卒業後、新興キネマ大泉撮影所(現在の東映東京撮影所)助監督部に入社。大映東京撮影所を経て、1947年(昭和22年)に東横映画(現在の東映京都撮影所)に入社。松田定次に師事し、助監督を経て1953年(昭和28年)に『アチャコ・エンタツちゃんばら手帖』で監督に昇進。1964年(昭和39年)2月1日に東映京都テレビプロダクションが設立されてテレビに転向するまでに43本の映画を手がけた。テレビ界に転じてからは映画時代も多くコンビを組んでいた脚本の結束信二とのコンビで『新選組血風録』や『燃えよ剣』などの名作時代劇を世に送り出した。ほとんどの作品が結束とのコンビなのが特徴である。酒好きが災いして糖尿病を患い、亡くなるまでの4年間は透析をするほどであった。