仲谷升,麻布中学を経て1949年に中央大学法学部に入学するが、大学在学中に演劇活動にのめり込み大学を中退して文学座演劇研究所に入る。その後座員に昇格。1953年、今井正監督『にごりえ』で映画に初出演し中平康監督の『猟人日記』『砂の上の植物群』では主演を務め以降、舞台、映画、テレビで貴重な存在として活躍を果たす。1963年、劇団の体質への不満から芥川比呂志、神山繁、小池朝雄らと文学座を脱退し福田恆存を中心とした劇団雲の結成に参加。1975年には芥川、神山、中村伸郎らと劇団雲から離れ演劇集団 円を結成した。中村亡き後、1992年からは同集団の代表を務めた。テレビドラマにも数多く出演したほか、フジテレビの深夜番組『カノッサの屈辱』に教授役でレギュラー出演し人気になった。文学座以来行動を共にしていた女優の岸田今日子と1954年に結婚、一女をもうけるも1978年に離婚。1980年に再婚したが、その女性とも1997年に離婚。その後、2002年に再々婚した。競馬好きで、競馬雑誌の連載を担当していたこともある。また野球も好きで、文学座時代は野球部のエースで橋爪功は新人時代に相当鍛えられたという。プロ野球は読売ジャイアンツのファンである。また大のヘビースモーカーであり、1日100本煙草を吸っていたという。2006年11月16日7時22分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都港区の病院で死去。77歳没。『機動刑事ジバン』の柳田誠一役は当初は仲谷が演じるはずだった。